カムチャツカにおけるガン類の調査の歩み
ユーリー・ゲラシモフ 
ロシア科学アカデミー極東支部太平洋地理学研究所鳥類学室 主任研究員


1)カムチャツカにおけるガン類の調査の歩み(公開シンポジウム要旨)

ニコライ・ゲラシモフ ロシア科学アカデミー極東支部 太平洋地理学研究所 鳥類学室長
ユーリー・ゲラシモフ 同研究所 鳥類学室 主任研究員
呉地 正行 日本雁を保護する会 会長
池内 俊雄 雁の里親友の会 事務局長
 
 20世紀の後半に発行されたどの鳥の図鑑を見ても、カムチャツカで繁殖する全てのガン類に関する記述は全く見当たらず、わずかに「日本の野鳥」という図鑑の中で、ヒシクイの南側の分布域の中に、カムチャツカ半島の一番北の部分が含まれているだけである。この報告書の執筆者の一人であるニコライ・ゲラシモフは、その時期にあらゆる機会をとらえてガンの保護に乗り出した先駆者である。
 
 カムチャツカのガンを本格的に調べ始めるようになったのは、1982年にモスクワで開かれた国際鳥学会が契機となった。日本とカムチャツカの研究者が初めて顔をあわせ、カムチャツカのヒシクイに首輪をつけようという話し合いが、この場で決定した。
 モロシェチナヤ川禁猟区は、カムチャツカに数々あるガンの保護区の中で一番早く設立されたもので、この会議の10年前のことである。ロシアの北東部ではガン類の数が急激に減少していく一方、このモロシェチナヤ川禁猟区では、1970から1980年代に亜種ヒシクイが予想も出来ない速さで増えてゆくのが確認された。
 カムチャツカでガンに標識を着ける試みは、1984年の夏にこのモロシェチナヤ川でヒシクイのヒナを捕まえることから始まった。同じ年、換羽のためにウトホロク禁猟区のマエント湖に集まった15羽の成鳥が捕獲された。マエント湖で亜種ヒシクイを捕獲して標識をつける作業は1985年まで続けられ、合計で90羽の成鳥と16羽のヒナが最初の2年間でつかまり、標識がつけられた。
 しかし、これらの標識鳥は日本の本州で数羽確認されたのみに留まり、モロシェチナヤ川で繁殖する亜種ヒシクイの大部分は、サハリンとアムール川の河口部を経て中国に越冬のために渡って行くことが明らかになった。
 
 1985年、モロシェチナヤ川禁猟区の南部に位置するズベズドカン湖で、5〜7,000羽のヒシクイが換羽しているのを発見し、捕獲のため、1986年に同地を訪れた。そして、これらの湖で換羽しているヒシクイの大半がタイガ型のオオヒシクイで、越冬のために日本へ渡ることが分かった。

 半島の南西部に位置するマコベツコエ湖で、1988年と1989年に合計100羽以上のヒシクイを捕獲した。その年、換羽をしている群れの多くはツンドラ型の亜種ヒシクイで、オオヒシクイは極めて少なかったが、後年になってオオヒシクイの占める数が相対的に増えてきた。
 
 ガンの捕獲調査で一番お金がかかるのは、ヘリコプターの支払いである。いつの年でも、ガンを捕まえて標識をつけるための資金はなかった。ヘリコプターが使えたのは、ソビエト連邦であった1991年までだった。
 
 ロシアで政治体制が変わると、カムチャツカと日本の研究者の間で、新たなガンの調査の時期が始まった。まずニコライ・ゲラシモフが1989年に日本に初めて招待され、まもなく日本のガンの研究者がカムチャツカでの調査に加わるようになった。カムチャツカの研究者と日本雁を保護する会の緊密な連携は、我がロシアにおけるガン類の渡りと生態に関する調査の歴史において、最も収穫の多い時期であった。
 1990年代前半の調査の結果、カムチャツカ半島に分布するほとんどのガンの群れの存在を把握することができた。
 
1. カムチャツカ半島の北西部で繁殖する亜種ヒシクイの一つの個体群は中国で、そして恐らく一部は朝鮮半島で越冬する。このモロシェチナヤ川流域の個体群の秋の渡りは、最も遅いものでは9月まで続く。カムチャツカの更に北から渡ってくる亜種ヒシクイは、秋の渡りの時期にここを中継地として利用する。
2. カムチャツカ半島南西部の亜種ヒシクイの個体群は、越冬のために主に日本へ渡る。カムチャツカのこの地域から移動したヒシクイは、9月の早い時期に北海道に姿を見せる。1990年代には、カムチャツカ半島西海岸部のヒシクイの群れは、半島を突き抜けて南東海岸部のハドゥトカ川、ベスニック川、ゾロタヤ川流域にまで分布が広がった。これは、カムチャツカにおける積極的な保護対策の結果である。これらの群れは、現在同地で普通に見られる。
3. 三つ目の個体群、これはカムチャツカ半島西海岸の内陸部で繁殖し、モロシェチナヤ川流域かマコベツコエ湖で換羽するオオヒシクイの群れである。これらのオオヒシクイは8月の末には半島から移動をはじめ、日本で越冬する。

これ以外の地域のヒシクイについて、私たちはほとんど情報を持ち合わせていない。例えば、カムチャツカ半島の北東部に生息する亜種ヒシクイに関して、どんなルートを通って、いつどこへ越冬のために渡ってゆくのか、依然として分からない。

 茨城県江戸崎町で越冬するオオヒシクイの小さな独立個体群に関しては、カムチャツカ半島の南部か、あるいは北西部で営巣していると考えており、江戸崎の雁に関わっている人たちと共同で調査を進めているが、いまだに営巣地は明らかになっていない。

 カムチャツカと日本の間を往き来するヒシクイの保護に係わる問題(渡りのルートや越冬地の解明)は、1990年代後半にほぼ片付いた。しかし、一方で、日本で越冬中に、重金属や病原性の高い病気で死んだガンが見つかるなど、新たな問題も発生した。

 また、「日本雁を保護する会」の呉地正行氏、「雁の里親友の会」の池内俊雄氏が、資金調達、人員確保など、調査に多大なる貢献をお寄せくださったことで、カムチャツカにおけるヒシクイの調査がさらに進展した。

 ヒシクイ以外のガンはカムチャツカでは繁殖しない。したがって、これらのガンに関する研究は、渡りと越冬期間中の観察に頼ることになる。マガン、サカツラガン、ハクガン、コクガン、シジュウカラガンなどの調査研究も進められている。

 いまやカムチャツカにおいて、ガンの保護には多岐にわたる一連の行動が求められている。一番大事なことは、春の猟の全面禁止を含めた、狩猟の期間を短縮することだと考えている。そして、禁猟区の監視体制の強化とあわせて、現在存在する規則の徹底遵守が肝心だと考えている。また、天然ガスの開発事業も、ヒシクイが繁殖するのを締め出すに十分危険な行為である。ガスのパイプラインに沿って設けられた道路は最も危険な存在で、以前なら人間が近づくことの出来なかったガンの重要な生息地に、狩猟者や密猟者が簡単に近づけるようになるからである。石油や天然ガスを求めて探索区域を更に北や山の内陸部に向けて広げる行為も、大きな脅威になっている。

 カムチャツカと日本のガンについて、新たに調べなければならないことがたくさんある。この興味尽きることのない調査に、日本からのあらゆる参加者をお招きいたします。

2)ガン類保護における禁猟区設立の重要性(一般講演要旨)
  ニコライ・ゲラシモフ ロシア科学アカデミー極東支部 太平洋地理学研究所 鳥類学室長
  ユーリー・ゲラシモフ 同研究所 鳥類学室 主任研究員

 
 今から百年も前、ガンはカムチャツカ半島のほぼ全域に生息していた。これは、1960年代以前には、ごく限られたハンターだけしかガンが繁殖する場所へ入って行けなかったため、乱獲を免れたからである。しかし、ヘリコプターの台数が増え、どこにでも行けるキャタピラー車や強力な船外機がついた小型のボートがハンター等によって広く使われるようになり、カムチャツカや極東ロシアの北方部では突然状況が変わった。
 交通手段が発達し、カムチャツカ半島を大陸と結んでいるパラポル谷へ、多くのハンターが行けるようになった。1960年代の初めまで、10万羽に及ぶガン類が、春にその谷を通過して行ったが、1960年代中頃になると、多くのハンターがヘリコプターに乗り込み、ガンを撃つようになった。また、北東アジアのガンの越冬地中国における狩猟も、ガンが激減した原因のひとつであると考えた。そして、1980年代前半の2年間にわたり、パラポル谷において春の渡りを対象にしたガンの調査を実施した際、数百羽の群れからなるマガンと、ほんの数羽のヒシクイを観察したに過ぎなかった。
 ガンを保護するためには、急いで策を講じなければならない。カムチャツカにおける保護策の柱は、ガンの繁殖地、中継地、そして換羽地に保護区を設立することから始まった。

◆1970年 「カラギンスキー島禁猟区」設立。ヒシクイ、マガン、ハクガンの通過を保護。
◆1972年 「モロシェチナヤ川禁猟区」設立。カムチャツカで最も重要なガンの生息地。
まもなくこの禁猟区で繁殖するガンが急速に増えたのを確認できた。それに加えて、モロシェチナヤ川のガンが中国に越冬に渡って行くことも確かめられた。1985年には保護区の南側で、5〜7,000羽のヒシクイが換羽している場所を発見した。
◆1983年 「ウトホロク禁猟区」設立。西海岸にある亜種ヒシクイの代表的な換羽地。夏には3〜4,000羽の亜種ヒシクイが禁猟区の中心部にあるマエント湖と周辺の湖に換羽のために集まってくる。
◆「ガンの潟湖」という名前の禁猟区が、「ウトホロク禁猟区」と同じ緯度のカムチャツカ半島の東海岸にある。5〜6,000羽に及ぶコクガン、数千羽のマガン、少数のヒシクイとハクガンが、毎年秋になると長期間このマヤンバヤン潟湖に集まってくる。
◆1989年 「南西ツンドラ禁猟区」設立提案。海岸南西部のマコベツコエ湖は換羽のために両亜種あわせて4〜5,000羽のヒシクイが集まる重要地。
◆1993年 「ジュパノバ潟湖禁猟区」設立。秋期の渡りでガンが集結する場所。
◆1994年 「カラギンスキー島」「モロシェチナヤ川」「ウトホロク」の三つの禁猟区及び、パラポル谷がラムサール条約の指定登録湿地に認められる。全ての水鳥とカムチャツカのガンの重要な生息地を保護する上で、国際的に意味の高い湿地であると評価された。
 
 禁猟区では自然環境に悪影響を与える経済活動が一切禁止されている。また、1970年代から1980年代にかけて、私たちは二年間に限り春の狩猟を完全に禁止することができた。1962年から1984年にかけて、この報告書の執筆者の一人がカムチャツカでの狩猟を監視する立場の責任者であったことは注目に値する。同時にこのことは、ガンの保護を主な目的とした一連の禁猟区の設立にも役に立った。
 1960年代から1980年代にかけて、北東アジアのガン類の個体数は減少した。しかし、この間、カムチャツカにおいてのみ、そこで繁殖するガンの数が維持され、また増えた。半島の西海岸では両亜種のヒシクイの数がかなり増え、南東部の流域にも生息するようになった。これらの結果は、ガンの保護に焦点を絞った一連の禁猟区の設立によって成し遂げられた。

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