2008年日本鳥類標識協会第23回大会(2008年12月13日京都御室会館)における特別講演要旨
 2008年日本鳥類標識協会第23回大会講演要旨集より

茶の湯の羽箒に使われる羽根について

下坂玉起



 茶の湯には、様々な鳥の羽箒が使われている。しかし、羽箒は茶の湯の研究者にも鳥の研究者にも調べられていない盲点だったようだ。私は現在、全国に現存する由緒や時代のある羽箒を実測調査し、文献調査や羽箒師さんへの取材、鳥類学の情報などを総合して検討している。これまで200本ほど調査してきたが、江戸時代の羽箒も意外に残っており、中には350年も前のものや、200年経ったとは思えないほど保存状態が良いものもあった。他の茶道具同様、桐箱に収め、防虫効果がある白檀の香木を入れ、代々大切に保管されて来たからであろう。

 当初は、埃や抹茶の粉や灰のような微粒子でも筋を残さずきれいに掃き取り、漆塗などの大事な建具や道具を痛めない羽の物理的特性が利用された実用品であったものが、茶の湯の精神性の深まりとともに、天空を飛ぶ鳥に天上界の清浄なイメージが重ねられたためか、「鳥の羽は清らかである」として、その場や心をも清める象徴的で儀式的な道具となっていく。そして他の茶道具同様、その美も鑑賞されるようになって行った。

 最初は一枚の羽を木や竹の軸に挿したものだったようだが、茶人達は羽箒にもそれぞれの好みの形や寸法、鳥種などを各自の美意識に基づき定めていった。
利休が三枚重ねにしたとされ、以降三枚羽の「三ツ羽」が一般的になる。弟子の高山右近には、できて来る羽箒を見せたくてたまらない心情が伝わる書状があり、流刑先のルソンにまで師の利休が作った羽箒を持って行ったと言われている。

 利休の弟弟子・薮内剣仲を祖とする薮内流では、二枚横に並べた上に一枚を乗せる利休の重ね方を踏襲し、現在でも羽箒の柄の断面が三角形をしている。
 利休の頃はガンも使われていたようだが、弟子の古田織部は「白鶴、鶴の本白(根元が白い羽)、白鳥、野雁、黒鶴(ナベヅル)、鴻」に限定し、侘び茶には野雁か黒鶴に限ると用途も限定、仕立て方も現在一般的な三本をまっすぐ縦に重ねる形にした。

 その弟子の小堀遠州には、自領の備中に下国した折、野雁を打ち、それを羽箒にしたため、一時野雁の羽箒が流行ったという逸話がある。当時、茶の湯界のファッションリーダーだった遠州らしい話で、羽箒にも流行りがあったことがわかる。江戸時代にはノガンはかなり飛来していたようで、その羽は茶人好みの渋い美しさと変化に富むためか、今も人気があり、現存しているものも多い。遠州には、頂いた羽箒用の三枚の鶴の羽があまりにも見事なので「この羽なら掃かずとも塵はなくなる」と感激している礼状もある。いかに羽箒に執着していたかわかる。また、羽箒にも銘をつけ箱書したため、大切に伝え残されている。仕立て方もぴったり重なるように三枚同形の羽を使うようにしたと言われている。偶然、後の遠州流の羽箒の中に、三枚ともタンチョウの右・次列風切・第一羽だと同定して頂けたものを見つけた。同じ場所の羽を三羽分使っていたことがあることを証明でき、遠州流の羽箒がいかに贅沢であるかが分かる。

 現存している羽箒で最も多いのは鶴である。江戸中期の表千家の家元・?啄斎は「羽箒は鶴に限る」と言ったという。江戸時代は鷹狩りの獲物である鶴の捕獲は厳しく制限されていたので、入手ルートを含め、その理由を追っている。入手ルートの一つに「拝領ルート」があったことは多くの茶書に「拝領の羽箒」の特別な点前の記載があるので判明していたが、「『おこぶし御拳の鶴(将軍自ら鷹狩りで捕らえた鶴)』の羽を拝領したので、それで羽箒を作って進呈する」という書状に偶然出会え、その実在が裏付けられた。

 江戸時代の博物図譜のシマフクロウの項には、判で押したように「茶家用の羽箒にする」と記載されている。しかし、これまで見たシマフクロウと称する羽箒はどれもワシミミズクsp.と同定された。この秋、やっとほぼシマフクロウに間違いないとされたものを彦根藩主・井伊家旧蔵の羽箒の中に発見した。しかし、本物はこれほど見つからないのに、なぜシマフクロウは茶家用の羽箒にするとされ、シマフクロウと称する他のフクロウの羽箒がたくさん現存するのか、不思議である。
 江戸時代でも外国の鳥は持ち込まれ珍重されていたため、当時から白?など外国の鳥の羽箒はあった。セイランは水戸光圀(黄門様)が飼育していた記録があり、井伊家や加賀・本多家の青鸞羽箒を実見している。

 幕府崩壊後から昭和38年の鳥獣保護法制定まで、日本の鳥は乱獲され、また南方に進出した時代でもあったため、様々な鳥の羽が入手しやすかった。そのため近代の羽箒は鳥種が多く、現存しているものも多い。その結果、今では、鶴、鴻鶴(コウノトリ・鸛)、白鳥、野雁、青鸞、嶋梟(縞梟)、鴇(朱鷺、紅鷺、桃花鳥)、鷲、鷹など江戸時代以来の種以外にも、多くの大型鳥類の風切羽や尾羽を使った羽箒が存在している。
 茶の湯では羽そのものの美しさが第一で、古い羽箒には鳥名が書かれていないものが多い。鳥名は、茶会のテーマや和歌や俳句、季節感、夜の茶会には梟というようにイメージが重視されるため、曖昧だったり、「大鳥」などの古称や雅称もよくあり、箱書や記載だけでは正確な鳥名はわからない。

 実際に羽箒を見ても、羽軸の多くは熱でまっすぐにされ、五寸〜七寸に切られているため、海外の種も含めた鳥種からの同定は容易ではない。羽箒の鳥の種の同定は最大の課題である。文化財であるため破壊することはできないので、将来DNA鑑定の技術が進んでも困難であろう。しかし、古く傷んだ羽箒から何か判明する可能性はあるかもしれない。
 今回バンダーの皆様に、日本にこのように鳥の羽を愛でる伝統文化があることを
ご紹介する機会を頂けて大変ありがたく思っている。皆様のバンダーとしての知識や経験を使って、羽箒の鳥種の同定にご協力して頂ければと楽しみにしている。


   [追記] 詳細については以下の文献をご覧いただきたい
    追記以下を引用される場合は、このページのURLを明記ください。

・『羽箒に関する基礎調査研究 初年度』茶道文化学術助成研究平成19年度研究報告
http://www.santokuan.or.jp/jyosei_report/H19_P24-37.pdf
・『羽箒に関する基礎調査研究 次年度』茶道文化学術助成研究平成20年度研究報告
http://www.santokuan.or.jp/jyosei_report/H20/1.pdf
・『羽箒について』茶の湯文化学会会報No.52 東京例会報告 3頁
http://www.chanoyu-gakkai.jp/magazine/pdf/kaihou52.pdf
・『羽箒について2』茶の湯文化学会会報No.69 東京例会報告 6頁
http://www.chanoyu-gakkai.jp/magazine/pdf/kaihou69.pdf
・『茶の湯の羽箒』茶の湯文化学会会報No.70 金沢例会報告 7‐8頁
http://www.chanoyu-gakkai.jp/magazine/pdf/kaihou70.pdf


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