日本鳥類標識協会2017年度(第32回)全国大会in島根県出雲開催報告
プログラムと講演要旨
を掲載しました(2017年9月18日)
報告用ページとするためにお誘い文を直しました(2017年10月2日)
プログラムと講演要旨の修正・差し替えを行いました(2017年10月19日)
特別講演会の企画趣旨とまとめを追加しました(2017年11月6日)
大会報告と写真を追加しました(2017年11月9日)
縁結びの地,島根・出雲大会大会報告
島根・出雲大会実行委員長 市橋直規
旧暦の10月は全国的に「神無月」と呼ばれていますが,出雲地方では,全国から八百万の神々が出雲大社にお集まりになるため「神在月(かみありづき)」と呼ばれています。神様も年一度,出雲の地で全国大会を開かれ,男女の縁結びや仕事縁など諸々の縁について協議されます。
2017年度の日本鳥類標識協会全国大会を開催した9月30日・10月1日は,まだ神々はお集まりになっていませんでしたが,我々が神様より一足先に出雲の地に集まって,日頃の研究成果や鳥との縁などを話し合い,バンダー同士の縁を深める機会にしていただけたのではないかと思います。
中海ステーションは,島根,鳥取両県全域からなり,年間新放鳥数約7,000羽の大部分を美保関,米子水鳥公園,安来,斐伊川で占めています。これら中海ステーションの代表的な調査地は,中海,宍道湖周辺に集中しています。大会会場となった出雲市は宍道湖の西岸に位置し,宍道湖に注ぐ斐伊川の周辺は出雲平野と呼ばれる島根県一の穀倉地帯で,秋にはコヨシキリ,シマセンニュウが多く渡ることでも知られています。また出雲平野は,3,000羽前後のマガンをはじめ,ヒシクイ,コハクチョウといった大型の冬鳥のほか,ヨシ原にはオオジュリンなど多くの冬鳥が越冬することでも知られます。
今大会1日目の特別講演では,このうちコヨシキリとシマセンニュウ,そしてヒシクイにスポットを当てた企画としました。また,2日目の早朝には,天候に恵まれて斐伊川河口のエクスカーションが予定通り実施でき,実際にコヨシキリやシマセンニュウを見ていただくことができました。さらに,その後の午前中にあった11題の一般講演は様々な興味深い発表がありました。
2日間の参加人数は実行委員も含め67名でした。みなさまと縁結びの地でお会いできたことは縁あってのことと大変嬉しく思い、有意義な2日間を過ごすことが出来ました。
大会会場の様子
2017年度(第32回)日本鳥類標識協会全国大会開催
2017年度日本鳥類標識協会大会実行委員会
本年の日本鳥類標識協会全国大会は,島根県出雲市で開催しました。
1.開催日 2017年9月30日(土)・10月1日(日)
2.大会会場 ホテル武志山荘
〒693-0001 島根県出雲市今市町2041 Tel. 0853-21-1111
URL http://www.takeshi-sanso.co.jp/
今回は,1日目の基調講演から総会,懇親会,2日目の一般講演を同じ会場で開催しました。宿泊も同施設でお申しいただけるようにしました。
武志山荘は,JR出雲市駅北口から東へ900m(徒歩約10分)の場所にあります。
3.日程
特別講演(1)(2)、一般講演のプログラムと講演要旨
9月30日(土)
13:00 受付開始
13:30 開会
13:45〜16:30 特別講演「しまねで渡りを考える〜越冬する大型の鳥と通過する小鳥の事例から〜」
第一部)出雲平野のヒシクイ
第二部)コヨシキリ・シマセンニュウの渡りレポート
16:30〜17:30 総会
18:00〜20:00 懇親会
10月1日(日)
4:50 エクスカーション・バス出発
5:40〜7:20 エクスカーション・斐伊川河口網場見学
(雨天は宍道湖西岸フィールド案内とバードウォッチング)
8:00 バス帰着・朝食等
9:00〜12:00 一般講演
12:30 閉会・写真撮影
(もうしこみ情報は略)
・エクスカーション
大会2日目の早朝にエクスカーションを実施しました。2台のバスに乗り、ホテルを5:00に出発して、5:40〜7:00頃に斐伊川河口のヨシ原にある網場を見学しました。季節としてはちょうどコヨシキリが渡りのピークを迎える頃にあたり,シマセンニュウも数は少なくなっていますがまだ捕獲された時期でした。
雨天または強風,川の増水等で網を開くことができない場合は,斐伊川河口を中心にラムサール条約登録湿地である宍道湖の西岸域を案内しながら,おもにバス車内からのバードウォッチングを予定していましたが好天にめぐまれ、このプログラムは行わずにすみました。例年は,マガンが渡来初期で100羽前後,ヒシクイがもしかしたらそろそろ初認になるかもしれないという時期にあたります。
(JR出雲市駅へのアクセス情報略)
・周辺情報
また,出雲まで来たついでに少し観光してみようかという方のために一畑電鉄出雲市駅が起点になる施設・観光スポットの紹介をしました。
宍道湖グリーンパーク:宍道湖西岸に面した野鳥観察舎を構える公園。ホシザキグリーン財団の施設であり,野生生物研究所はこの敷地内にあります。
島根県立宍道湖自然館ゴビウス:島根の川と宍道湖・中海の水族館で,淡水と汽水にすむ200種10,000点の水生生物が展示されています。グリーンパークに隣接しています。
出雲大社:一畑電鉄で電鉄出雲市駅から出雲大社前駅まで約40分(川跡駅乗り換え)。そこから徒歩7分です。隣には島根県立古代出雲歴史博物館もあります。
松江城:一畑電鉄で電鉄出雲市駅から松江しんじ湖温泉駅まで約1時間。そこから徒歩で20分または市営バス(北循環線内回り)で5分,県庁前下車徒歩5分。一昨年,国宝に指定されました。周囲を巡る堀川遊覧船があります。
また,ちょっと足を伸ばせば,島根県立三瓶自然館(大田市),米子水鳥公園(鳥取県米子市)もありますので,この機会にいかがでしょうか。
特別講演(1)(2)9月30日13:45〜16:30、一般講演(10月1日9:00〜12:00)
プログラムと講演要旨
講演要旨は、講演要旨集に掲載されたテキスト文の部分です。図表写真などは割愛しています。
大会の場で講演要旨を修正された場合は、その内容を反映させます。
特別講演の企画趣旨とまとめ (2017年11月6日追加)
森茂晃(大会実行委員・事務局)
特別講演(1)
1 出雲平野に渡来するヒシクイの不思議
佐藤仁志 (日本野鳥の会島根県支部)
2 出雲市で越冬するヒシクイの衛星追跡結果
尾崎清明 (山階鳥類研究所)
特別講演(2)
1 コヨシキリ・シマセンニュウの全国の放鳥状況と傾向
森本元 (山階鳥類研究所)
2 大潟草原での標識調査(コヨシキリとシマセンニュウ)
杉野目斉(宮城県仙台市)
3 兵庫県豊岡市円山川におけるシマセンニュウとコヨシキリの渡り
片岡宣彦(兵庫県)
4 シマセンニュウ・コヨシキリの渡りレポート(鳥取県・米子水鳥公園)
桐原佳介(中海水鳥国際交流基金財団)
5 島根県・斐伊川河口におけるコヨシキリ・シマセンニュウの渡りレポート
森茂晃(ホシザキグリーン財団)
一般講演
1 京都府冠島におけるオオミズナギドリの標識調査による生残率推定
須川恒 (冠島調査研究会)
2 枇榔島におけるカンムリウミスズメの標識調査
中村豊(枇榔島調査研究会)
3 ユリカモメにおける標識再捕及び外部計測値を用いた地域個体群の検討
澤祐介(東京都)・須川恒・有馬浩史(京都府)
4 タマシギの年齢・性の識別と換羽様式
小田谷嘉弥(我孫子市鳥の博物館)
5 西オーストラリアの鳥類標識調査と鳥類の生息環境
川口仙太郎(島根県)
6 数種小鳥類における総排泄腔突起の形態と内部構造
千葉晃(新潟市)
7 サハリン〜日本列島におけるウグイスの翼長・翼式の地理変異
梶田学 (京都府)
8 エゾムシクイPhilloscopus borealoidesとアムールムシクイP. tenellipesの識別
○茂田良光(山階鳥類研究所)・森 茂晃(ホシザキグリーン財団)・市橋直規(日本鳥類標識協会)
9 中国地方島根県石見での標識調査
日比野政彦(広島県廿日市市)
10 長期にわたる春の標識調査から 〜島根県松江市美保関灯台〜
市橋直規(鳥取県米子市)
11 日本の鳥類調査員の高齢化と人手不足、および、鳥類標識調査員の現状把握
〜将来の調査員育成体制の改革へ向けてのバンダーとの情報共有〜
森本元 (山階鳥類研究所)
特別講演の企画趣旨とまとめ
森茂晃(大会実行委員・事務局)
今大会で1日目に企画した「特別講演」の趣旨について、大会中に質問がありました。また、当日の会場からの質疑やコメントなども少し付け加えて欲しいというリクエストもあったため、以下、簡単ではありますがまとめてみました。ご参考になれば幸いです。
この特別講演には、「しまねで渡りを考える 越冬する大型の鳥と通過する小鳥の事例から」というタイトルをつけ、思い切って大型の鳥はヒシクイ、小鳥はコヨシキリとシマセンニュウに的を絞った内容としました。
先ずヒシクイは、出雲平野で越冬する個体群についてよくわかっていない点がある大変興味深い渡り鳥の一つであるということ、そのヒシクイについて山階鳥類研究所が日本雁を保護する会、地元の日本野鳥の会島根県支部などと協力して衛星発信器を装着する調査をしたことがあったためです。また、今大会の事務局構成員5名のうち、3名が今大会の後援団体にもなった島根県立三瓶自然館とホシザキグリーン財団のいずれかに所属しており、この調査にも協力していたという経緯もありました。そして、この衛星追跡結果については、その一部が地元紙などに掲載された以外に発表されていなかったため、大変良い機会と考えました。
またコヨシキリとシマセンニュウについては、以前から西日本では山陰地方を多く渡っているのではないかという話しがあり、実際に島根県や鳥取県における秋のヨシ原の標識調査では数多く放鳥されています。標識調査の上ではこの地域を代表する渡り鳥と言えるでしょうし、他の地域ではどうなっているのだろうといった興味と話題提起の意味もありました。また、大会が開催された9月末頃は両種が数多く標識放鳥される時期にもあたり、タイミング的にもちょうど良いものでした。
この大きく2つの種類を特別講演の「第一部」と「第二部」の題材とし、それぞれの講演内容を通して「渡り」を見てみようということにしました。もっと数多く越冬するマガンやコハクチョウではなくヒシクイに焦点を当て、ヨシなどの草原の中にいて目立たないコヨシキリやシマセンニュウに注目するというのは、いかにも標識大会らしくて面白いのではないかといました。
第一部では、出雲平野のヒシクイを長年地元で観察し注目してきた日本野鳥の会島根県支部の佐藤仁志支部長に「出雲平野に渡来するヒシクイの不思議」と題して、この地域で越冬する個体群が多様であること、単純な亜種オオヒシクイ・亜種ヒシクイの分類にはあてはまらない個体がいるのではないかという着眼点などについて概説していただきました。
そして、山階鳥類研究所の尾崎清明副所長より、「出雲市で越冬するヒシクイの衛星追跡結果」と題して、そのヒシクイに衛星発信器を装着し、追跡できた渡りルートについて発表していただきました。過去に新潟で越冬する亜種オオヒシクイについて確認されている渡りルートと繁殖地域とは異なる結果が得られており、2つの発表を通して見ることで、出雲平野のヒシクイの不思議を再認識することができたのではないかと思います。また、それでもまだ残される疑問・課題も示され、それはそれで興味深く、改めて謎めいた個体群だと思われました。
第二部では、コヨシキリとシマセンニュウについて、各調査地から標識放鳥レポートをしていただきました。先ずは山階鳥類研究所の森本元氏より「コヨシキリ・シマセンニュウの全国の放鳥状況と傾向」として、全種総放鳥数に対する両種の数や全国と島根・鳥取との放鳥数の比較などといった視点で概要を説明いただきました。続いて秋田県より「大潟草原での標識調査(コヨシキリとシマセンニュウ)」として杉野目斉氏より報告いただき、「兵庫県豊岡市円山川におけるシマセンニュウとコヨシキリの渡り」を片岡宣彦氏より、「シマセンニュウ・コヨシキリの渡りレポート(鳥取県・米子水鳥公園)」として同公園の主任指導員である桐原佳介氏より報告いただきました。最後は、開催地からということで、森より「島根県・斐伊川河口におけるコヨシキリ・シマセンニュウの渡りレポート」を報告しました。
これらのレポートで、シマセンニュウは8月中旬には既に渡りが始まっていて、コヨシキリも9月上旬には渡り始めていることが改めて示され、このような秋の渡りの早い時期から調査をすることで両種の渡りが見えてきそうだということが会場にも伝わったのではないでしょうか。ほかにも、シマセンニュウの成鳥は初列風切を部分換羽して渡ることや、春の渡りの遅さについても会場からコメントがあり、シマセンニュウの繁殖生態や、繁殖地と越冬地をそのようなタイミングで行き来する渡りの不思議について改めて気づかされました。各調査地の両種の放鳥数の多い時期については、それぞれの調査地の調査時期や方法等が違うため、一概に比較することは出来ないように思われましたが、シマセンニュウの放鳥記録が大潟草原で10月中旬、円山川で10月31日、斐伊川河口で11月4日まであり、コヨシキリでは大潟草原で11月初旬、円山川で11月4日、斐伊川河口で11月17日まであるということは並べてみて面白く感じました。また、大会終了後には、こうしたショートレポートのプログラムは新鮮だったという声や、ある意味標識大会らしくて面白かったといった感想もいただき、企画して良かったと思いました。
戻る
出雲平野に渡来するヒシクイの不思議
佐藤仁志(日本野鳥の会島根県支部)
現在、島根県には出雲平野を中心に、マガンが約3,000羽、ヒシクイが100〜200羽渡来し越冬している。しかし、1975(S50)年ごろには、これらのガン類はほとんど渡来しておらず、稀にしか確認できない種であった。
マガンが定着し始めたのは、1978(S53)年ごろからで、その後2008(H20)年ごろまでは毎年順調に数を増やし続けてきた。一方、ヒシクイが群れで確実に確認されだしたのは、1998(H10)年ごろからで、80〜120羽ほどが、増えもせず減りもせず渡来し続けてきた。マガンの急増傾向に比べると対照的であり、また、ヒシクイの全国的な増加傾向とも合致しなかった。出雲平野に渡来するヒシクイの不思議の一つは、種全体が全国的に増加傾向にある中で、出雲平野のヒシクイは増えていないことである。
さらに、出雲平野に渡来するヒシクイの不思議として、オオヒシクイや亜種ヒシクイに比べると、小型のヒシクイがほとんどであるということである。当地に渡来するヒシクイの多くは、亜種レベルでみると、オオヒシクイでも亜種ヒシクイでもない個体がほとんどであり、それもマガンとほぼ同じようなサイズの小型のヒシクイから、オオヒシクイを1〜2割ほど小型にしたような中型?のヒシクイが多いことである。
日本鳥類目録では、小型の亜種としてヒメヒシクイが認められているが、山階鳥研に保管されている標本を見ると、タイガ型の小型種であり、ヒメヒシクイの標本にはツンドラ型の小型種は含まれていない。しかし、出雲平野にはツンドラ型の小型のヒシクイも見られるのである。このことも、不思議の一つといえる。
出雲平野に渡来するヒシクイのタイプを分類してみると、大型の個体はタイガ型のオオヒシクイのみ(約1割)で、ツンドラ型の亜種ヒシクイはこれまで確認していない。大型よりも1〜2割ほど小さい中型?の個体が最も多く、6〜7割を占めている。このほとんどがタイガタイプであり、中型のツンドラタイプはほとんど見ない。残りの2〜3割が小型のものと判別ができないものであり、通常はタイガ型の小型のものが多い。ただ、2016-2017シーズンにはツンドラ型が急増した。このような亜種レベルの傾向は、私が朝鮮半島で観察したヒシクイの構成状況とよく似ており注目される。
大会では、このような当地に渡来するヒシクイの不思議について、紹介する予定である。
戻る
出雲市で越冬するヒシクイの衛星追跡結果
尾崎清明(山階鳥類研究所)
亜種オオヒシクイのうち、新潟で越冬する個体群の渡りのルートは、人工衛星による追跡と、首環をつけた個体の目視追跡によって、北海道を経由してカムチャツカへ渡ることが分かっている。逆に、カムチャツカの繁殖地周辺で捕獲して首環をつけられた個体が、北陸地方へ渡ってくることも確認されている。しかし、こうした北陸地方へ渡ってくるオオヒシクイのほかに、山陰地方(宍道湖や斐伊川)へ渡来するオオヒシクイがいて、これらは北陸地方へ渡来するものより体サイズや嘴の形状に変異が多く、亜種不明とされてきた。
はたして山陰地方へ渡来しているヒシクイ(亜種不明)の繁殖地はどこで、どのような経路で渡っているのであろうか?この疑問に答えるために、島根県出雲市で越冬するヒシクイの捕獲調査を実施した。
2010年3月6日に捕獲した31個体のうち、5個体に衛星追跡用の発信器を装着した。このうちの3個体が、3月末日本海を縦断して中国黒竜江省ハンカ湖(中国名は興凱湖:こうがいこ)に到着した。その後アムール川流域のボロン湖などを経由して、1個体は5月中旬までに北極海に近いコリマ川下流域のチェルスキーまで到着した。出雲市からの直線距離は約4,100キロである。この個体の行動範囲は約20キロ四方に限定されており、繁殖した可能性もある。
もう1個体はコリマ川上流域に5月20日到着した。その後小移動を繰り返して6月18日にはズイリャンカ付近(出雲市からの直線距離は約3,500キロ)で長期間滞在した。9月下旬には南下をはじめ、10月1日にはハンカ湖に、11月20日には出雲市に帰還した。
このように例数は限られるが、山陰地方へ渡来するヒシクイの繁殖地域と渡りの経路が確認され、新潟とカムチャツカを渡るオオヒシクイとは異なることが判明した。したがって、引き続き形態学的、分子遺伝学的な分析を実施する必要がある。
この研究は、山階鳥類研究所が、日本雁を保護する会、日本野鳥の会島根県支部、(財)ホシザキグリーン財団、(財)しまね自然と環境財団、国土交通省中国地方整備局出雲河川事務所、リバーフロント整備センター、山岸哲氏などの協力を得て実施した。?
戻る
コヨシキリ・シマセンニュウの全国の放鳥状況と傾向
森本元(山階鳥類研究所)
本発表では、コヨシキリおよびシマセンニュウの全国での放鳥状況について、標識センターに蓄積されたこれまでの放鳥データから、その傾向を報告する。シマセンニュウは北海道に夏鳥として、コヨシキリも夏鳥として日本列島に広く渡来する鳥種である。その生態ゆえ、シマセンニュウは北海道では比較的多いが、本州の多くの場所では数が多くない渡り鳥として春と秋に通過する。コヨシキリも春から秋にかけて渡来、繁殖、渡去という過程を経るが、繁殖分布がシマセンニュウとは異なり広域である。両種とも、同じ草原性の他種より個体数が多くない共通性があるが、この繁殖分布を踏まえた生態の違いは全国レベルでの観察頻度に大きく影響しうる。また、日本国内の鳥類標識調査は秋の渡りシーズンに集中しているため、放鳥データに基づく傾向の分析においては、モニタリングデータとして季節の偏りがあることには注意が必要となる。こうした点を踏まえながら、標識センターに蓄積された数十年分の両種の新放鳥データを用いて、これら草原性2種の個体数や標識地点の傾向とその違いを、標識データ全体の傾向も交えながら考察する。
戻る
大潟草原での標識調査(コヨシキリとシマセンニュウ)
杉野目斉(宮城県仙台市)
私は2011年から秋田県南秋田郡大潟村にある大潟草原で標識調査を行なっている。
今回はコヨシキリAcrocephalus bistrigicepsとシマセンニュウLocustella ochotensisについて、2016年まで6年間の調査結果を紹介する。
○調査の概要
大潟村はかつて琵琶湖に次ぐ面積のあった八郎潟を干拓して1964年10月に誕生した。村の西部にあるA40地区では未利用地が草地化し、現在はススキやヨシが優占する草原となっている。ここで1973年にオオセッカの繁殖が確認されたことから、周囲も含め約135haが国指定大潟草原鳥獣保護区に定められた。うちA40地区内の48haは特別保護地区である。調査はこの特別保護地区内(40.00,N
139.57,E 標高0m)で実施している。
調査は概ね9月中旬から11月初旬にかけて実施している。金曜日没前に網を張り日曜10時頃から撤収するというパターンが多く、各年の調査日(放鳥実績のある日)は10日〜16日(平均12.5日)で、開網時間は日によってだいぶ異なる。網は2箇所に張っており、明け方からHTX15枚(北端の3枚あるいは5枚を開かない場合が多い。)で小鳥類、夜間にCTX5枚でコノハズク、ヨタカ、明け方のツグミ類を狙っている。初めて調査に入った2011年9月にはHTXに直交させてATX4枚を更に張ってみたが2日で止めた。
○コヨシキリとシマセンニュウ
6年間の標識調査では70種10755羽を新放鳥した。うちコヨシキリは1958羽(18.2%)、シマセンニュウは910羽(8.5%)で、両種とも当地において主要な放鳥種となっている。なお、コヨシキリは当地で繁殖している。またシマセンニュウは夜間誘引を行ない積極的に狙っている種の一つである。
両種ともに調査を開始する9月中旬から比較的多く捕獲され、コヨシキリでは11月初旬、シマセンニュウでは10月中旬まで放鳥記録があるが、シーズン内の増減傾向などを把握するには至っていない。今後、各年の調査の時期や間隔、開網時間などの諸条件を揃えることが必要であり、その前に年間の調査日数を増やさないと…と考えてはいるが、なかなか困難である。
両種のうちコヨシキリでは再捕獲記録が得られた。当地での経年後再捕獲(Rt.)は20個体で21例得られており、他に2個体(各1例)が6月あるいは7月に当地で撮影され足環番号が解読された。また移動回収記録(Rc.)は11例あり、他所放鳥個体の当地回収例は北海道(1)、新潟(1)、鳥取(1)、島根(2)から、当地放鳥個体の他所回収例は石川(1)、鳥取(2)、島根(3)から得られている。このうち短期間回収として2012年10月6日に当地で放鳥し19日後に約835km離れた島根県安来市で回収された例、2016年10月1日に当地で放鳥し6日後に約776km離れた鳥取県米子市で回収された例がある。
戻る
兵庫県豊岡市円山川におけるシマセンニュウとコヨシキリの渡り
片岡宣彦(兵庫県)
円山川の網場は、日本海から約8km上流の右岸河川敷にある。網場はヨシが広がる高水敷だが、昔は水田耕作が行われていた場所で乾燥しておらず、周辺を含め湿地帯である。この網場では1991年よりバンディングが実施されているが、シマセンニュウ、コヨシキリが放鳥されるようになったのは、9月から調査を開始するようになった1992年以降である。1992年から2016年までにコヨシキリは新放鳥数558羽、シマセンニュウの新放鳥数は130羽であった。
コヨシキリの他所放鳥円山川回収例は3例あり、それらの放鳥地は埼玉県、青森県、北海道であったが、埼玉県放鳥の個体は1994年7月16日に巣内ビナで放鳥されたものが同年10月8日に円山川で回収されたものである。この例は太平洋側で巣立った個体が渡り移動中に日本海側を通過しており、興味深い。同じくコヨシキリの円山川放鳥他所回収例は4例あり、それらの回収地は北海道1例、鳥取県2例、島根県1例であったが、島根県(出雲市 斐伊川)で2002年10月3日に回収された個体は同年10月1日に円山川で放鳥された個体であった。シマセンニュウの回収記録はなかった。
コヨシキリは秋期9月10日から11月4日の間に、シマセンニュウは8月25日から10月31日の間にそれぞれ放鳥された。
戻る
シマセンニュウ・コヨシキリの渡りレポート(鳥取県・米子水鳥公園)
桐原佳介(中海水鳥国際交流基金財団)
米子水鳥公園(以下、水鳥公園)は、鳥取県と島根県の県境に位置する中海の北岸にある野鳥観察施設である。1995年の開園以来、鳥類標識調査に参加しており、2016年までに95種類30,095羽を標識放鳥している(新放鳥95種27,750羽、再放鳥27種2,345羽)。その主な鳥がオオジュリン、シマセンニュウ、コヨシキリで、この3種だけで全体の新放鳥数の8割以上を占めており、これらの重要な渡りの中継地となっている。
水鳥公園の網場の環境はヨシ原で、泥が深くウェダーが必須である。また、イタチによる捕食を回避するため、網場には電気柵を設置している。近年は定位置で網(ATX,HTX)を9枚設置し、現在調査に参加しているバンダーは3名である。
2016年は、8月17日〜11月25日に調査を行い、20種1,373羽を標識放鳥した。そして、主要3種のピークは、シマセンニュウは9月16日(125羽)、コヨシキリは10月5日(121羽)、オオジュリンは10月30日(71羽)だった。水鳥公園の年間放鳥数は、1995年から1998年にかけてはおよそ2,000羽〜4,000羽だったが、1999年以降は1,000羽前後の横ばいで推移している。
主要3種の放鳥数の増減傾向は、総放鳥数の傾向と同様に推移しているが、コヨシキリとシマセンニュウは、2016年に例年よりもはるかに多い放鳥数を記録し、特にシマセンニュウは、過去10年間の平均の7倍以上、1995年からの平均の5倍以上となった。その要因は不明だが、調査前日の夜間から誘引していたことが効果的だったのかもしれない。その一方で、オオジュリンの放鳥数は、過去10年間の平均の約半数だった。成幼比の概算は、シマセンニュウはAd.60&、Juv.40%、コヨシキリはAd.80%、Juv.20%程度で、ともに渡りのはじめは成鳥が多く、終わり近づくにつれて幼鳥の比率が高まる傾向がある。
主要3種の特筆すべきリカバリーは、シマセンニュウでは3例(北海道→水鳥公園、水鳥公園→山口県、水鳥公園→千葉県)、オオジュリンでは3例(水鳥公園→カムチャッカ2例、カムチャッカ→水鳥公園1例)ある。コヨシキリは、北海道から島根県にかけての各地から回収例がある。
戻る
島根県・斐伊川河口におけるコヨシキリ・シマセンニュウの渡りレポート
森茂晃(ホシザキグリーン財団)
斐伊川は、島根県東部を流れる一級河川であり、宍道湖と中海というラムサール条約登録湿地でもある2つの汽水湖を経て日本海へと流れている。斐伊川の下流域から宍道湖に注ぐ河口部までは、河畔林やヨシ原などが広がる河川敷が続いており、河口付近の河川敷の幅は左右それぞれ約30?100mある。
この河口部を中心として以前から標識調査が行われており、標識場所(PCODE)が登録されている。この登録地で放鳥されたコヨシキリとシマセンニュウの記録を1975?2016年の間で抽出すると、いずれも1995年から記録が見られた。いずれの種も1995年9月29日に放鳥した記録が最初であり、以降2016年まで毎年秋の記録がある。この22年間の秋の全放鳥数は、コヨシキリが7,327羽、シマセンニュウが1,125羽であった(いずれもRpを除く)。また、放鳥記録のある月は、コヨシキリが9〜11月、シマセンニュウが8〜11月であり、もっとも早い放鳥記録はコヨシキリが9月2日(2016年)であるのに対してシマセンニュウは8月16日(1998年)、もっとも遅い放鳥記録はコヨシキリが11月17日(2006年)であるのに対してシマセンニュウが11月4日(2015年)であった。このことから、当地においては両種の渡りの時期は、概ね2週間ほどの差があるものと考えられた。
この22年間に当地で両種を標識放鳥した者は9人にのぼるが、それぞれの調査年は重なっている場合もあれば単独の年もある。年毎の放鳥日数を見ると、コヨシキリで5〜36日/年、シマセンニュウで3?23日/年と差があり、放鳥数の差も大きい。また、上記の記録は登録地のもので、斐伊川河口以外の周辺の記録もいくらか含まれているほか、複数の標識調査者が調査を行っているため、網場の位置だけでなく、網の枚数・構成、調査の実施期間や時間などが異なる記録が含まれる。そのため、その種が期間中のどのあたりに多く渡っていそうかといった傾向を見るには、これらの条件の違いによる影響を整理する必要があると考えられた。
そこで、全体のデータ数から比べると少なくなるが、森が2001?2016年まで8月下旬から11月下旬にかけてほぼ同じ位置で4〜6枚の網を使っている記録を抜き出し、さらに両種が放鳥できていない調査日も加えて整理することにした。ただし、網の構成は、HTX2〜5枚、ATX0〜3枚の組み合わせの範囲で年によって異なるほか、調査の期間や日数も一定ではない。調査時間も一定ではないが、両種の捕獲されやすい時間帯を考慮して、日の出時刻より10分以上早く調査が開始でき、かつ午前9時まで調査が継続できている日のみのデータとした。なお、このように条件を絞っていくと、さらに該当する調査日が少なくなったため、5日間毎(31日まである8、10月は月末のみ6日間)に放鳥数を集計し、16年分を合計した上で調査1日あたりの放鳥数として算出した。
このデータを用いて放鳥数の季節推移を見ると、コヨシキリでは9月26-30日と10月11-15日にはっきりとした2つのピークが見られ、シマセンニュウでは9月16-20日と9月26-30日に小さなピークが2つ見られた。さらに、それぞれ成鳥と幼鳥に分けて比較したところ、コヨシキリでは成鳥と幼鳥のピークが分かれ、年齢による時期の差が見られたが、シマセンニュウではその差は見られなかった。
本発表にあたり、使用するデータについては標識放鳥・回収データ利用許可(山階保全第29-110,120号)を得ている。また、末筆ながら、当地において両種の標識放鳥をされ、本発表に際しては記録の使用についてご了承いただいた川口仙太郎氏、日比野政彦氏、土居克夫氏、脇坂英弥氏、市橋直規氏、片岡宣彦氏、森由美子氏、豊田暁氏(当地における該当種の初放鳥日順)に心より感謝申し上げる。
戻る
京都府冠島におけるオオミズナギドリの標識調査による生残率推定
須川恒(冠島調査研究会)
京都府舞鶴市沖にある冠島のオオミズナギドリのコロニーでは1960年から農林省提供の金属足環により、また1971年からは環境庁(環境省)による金属足環によって長寿のオオミズナギドリへ標識調査が継続されている。
1960年から2015年までの標識総数は59234羽であり、そのうちアルミ・銅・モネルの材質の足環を装着したのは計44612羽である。時期による金属足環材質とその標識数は、1960-1964年(銅、1105)、1971-72年(アルミ・銅、2633羽)、1973-1990年(モネル、40874羽)であり、足環の劣化・脱落によりこれらの標識個体を直接確認することはできなくなっている。現在でも確認できる可能性のあるのは、劣化しにくいインコロイ足環を装着された個体であり、1989年―2015年に装着した14344羽および、それ以前の標識鳥をインコロイ足環に交換した288羽の計14622羽である。なお2回のリング交換によって1972年までたどれる個体が8羽いる(見つかってはいない)。
現時点で確認される可能性のある年度別の標識個体数情報一覧を作成して、これを毎年の調査における再捕数(リターン数)の放鳥年度別個体数と対比させると、生残率にあたる情報が得られることに気づいた。
標識範囲は1978年から島の一部区域に限定し、近年では毎年5〜6月と8月の年2回3泊4日で、10メートルメッシュで約25区画の標識調査を実施している。
2016年度の年度別リターン数(成鳥時放鳥)を、それぞれの年度の放鳥数と対比させた確認率は経過年によって減少する。確認率をログスケールにしたところ直線回帰することができた。消失率 は11.956%、つまり生残率は88.044%となった。確認率Yの経過年0との切片から、消失がない場合の確認率は20.058%と推定された。つまり1年に3泊4日2回の調査努力によって約2割の標識鳥が確認されたとみることができる。
オオミズナギドリは営巣地への帰還性が極めて高いことが明らかになっている(Sugawa
et al,2014)ので、この生残率は成鳥の生存率に近いものと思われる。今後2016年より以前の標識情報についても分析を試み、生残率の年変化を探りたい。
オオミズナギドリは「京都府の鳥」となっているが、広くその存在の意義が認識されているわけではない。都道府県別にオオミズナギドリのコロニーのある島の有無、啓発の拠点となる自然系博物館の有無などを対比させることによって、オオミズナギドリの普及啓発の課題についても述べる。
戻る
枇榔島におけるカンムリウミスズメの標識調査
中村豊(枇榔島調査研究会)
はじめに 門川町の枇榔島は、世界最大のカンムリウミスズメの繁殖地である。そこで四半世紀以上にわたって標識調査を行ってきた。その成果の一部を紹介する。
調査地及び方法
主たる網場は、枇榔島の南に面した中央部、標高25m位の場所に幅6mのカスミ網(DTX)を1枚設置して捕獲した。捕獲は20:00から05:30くらいまで網場を離れずに、手捕りおよびタモ網で行った。1990年から2017年までに894羽に環境省リングを装着した。また、2011年からは雌雄を確認するために採血しDNAを抽出して調べた。捕獲時にできる限り体重・体長など各部位の測定を行った。これらの調査から以下の結果が得られた。
結果及び考察
・同一場所で再捕獲される個体が多くみられることから、カンムリウミスズメは毎年帰島していると考えられた。その上、6〜10mほどの狭い範囲の網場で同じ個体が捕獲されることから、帰巣性が強いのではないかと思われた。
・1993〜1997年の間に147羽のヒナに標識して放鳥した結果、1996年5月に放鳥した1羽が2年後(1998年5月)に再捕獲され、ヒナの初回帰島は3年と思われていたが2年であることが分かった。
・2013年に再捕獲された本種に、1994年4月と5月に標識リングを装着した個体が、それぞれ4月と3月に確認され、19年間生存していたことが分かった。ヒナの初回帰島2年を考慮すると21年以上生存していることになる。
・雌雄の各部位の違いは、体重、翼長、嘴峰、嘴高、全頭長、?蹠長など全てにおいて顕著な差はなく、外部形態での雌雄の判定は難しいことが確認された。
・雌雄の平均体重は、♂で161.0g(n=189)、♀で163.2g(n=122)であった。
・繁殖期の雌雄の体重変化は、雌雄ともに繁殖期前半で高く、後半には減少することが分かった。♀は産卵に伴う体重減少が考えられるが、♂も同様に減少することが分かった。
・枇榔島で放鳥した本種については、他の繁殖地での再捕獲が全く無い。また、福岡県や高知県の繁殖地で標識した個体も全く枇榔島で再捕獲されていない。これらの結果からも、帰巣本能が強い可能性が伺える。同時に、繁殖地間の交流が薄くなることで引き起こされる、遺伝子レベルでの多様性の損失が危惧された。しかしながら、実際には繁殖地毎の遺伝的多様性は損なわれていないとの報告があり、亜成鳥が繁殖地間で交流している可能性が示唆された。
戻る
ユリカモメにおける標識再捕及び外部計測値を用いた地域個体群の検討
澤祐介(埼玉県)・須川恒・有馬浩史(京都府)
これまでユリカモメの標識調査は、関西(兵庫県、大阪府、京都府)及び関東(東京都、千葉県)において、カラーマーキングを用いた調査が実施されてきており、カラーリングを装着した個体の観察情報の蓄積も進んできている。東京都隅田川では、2010年よりカラーリングによる標識調査を実施しており、約400羽の個体に標識を行った(以下、隅田川個体)。隅田川個体は、関東地方以外では、北は北海道、宮城県、西は三重県、愛知県、大阪府、兵庫県から観察されている(図1)。このことから、隅田川個体は、北日本から太平洋側を通り、関東地方で越冬、もしくは関西、伊勢湾まで移動していることが推察された。
しかし、関西以西からは観察記録がなかったため、その実態を調査するために2017年より、福岡県の博多湾沿岸(大濠公園、室見川河口)においてユリカモメの標識調査を開始した。福岡県において標識した個体の計測値について、関東、関西の計測値との比較を実施した結果、関東と九州では一部の計測値に有意差があることが明らかとなった。観察記録、計測値の双方の結果より、九州で越冬しているユリカモメは、関東の個体とは、別個体群である可能性が示唆された。
戻る
タマシギの年齢・性の識別と換羽様式
小田谷嘉弥(我孫子市鳥の博物館)
タマシギは、旧北区から東洋区、エチオピア区に分布するチドリ目タマシギ科の鳥類で、日本国内では本州北部から琉球諸島まで繁殖分布する。本種は水田などの湿地で繁殖するが、近年個体数が減少し、環境省のレッドリストでは絶滅危惧U類に指定されている。国内における標識記録は2011年までは年間数羽程度にとどまっており、生活史の理解に重要な年齢や性の識別については情報が限られている。そこで、本種の性および年齢識別法の確立と、換羽様式の理解をめざして標識調査を行った。
2012年から2017年の3-12月に、千葉県内の水田および休耕田において、かすみ網およびたも網とライトを用いた方法で捕獲・標識調査を実施した。タマシギの雄成鳥12個体、雌成鳥11個体、雌第一回冬羽8個体、性不明の幼鳥/第一回冬羽18個体、飛べない幼鳥21個体(計70個体)を新規に標識した。加えて、のべ27例の再捕獲に成功し、各部測定と換羽状況の記録、写真撮影を行った。
捕獲されたタマシギ成鳥の雌雄別の最大翼長は、雄133-140mmおよび雌138-149mmで、雌が雄よりも大きい傾向があった。繁殖期間中の雄には発達した抱卵斑が認められたが、雌で抱卵斑を持つものはいなかった。
幼綿羽を残す状態で捕獲した全身幼羽の個体と、経年で再捕獲した確実な成鳥個体の羽衣の比較によって、幼羽と成鳥羽は、喉から胸の体羽・大雨覆・尾羽等の形状と羽色の違いで区別できることが確認された。また、嘴と脚の裸出部の色彩も異なることがわかった。幼羽から第一回冬羽への換羽は早い個体では8月ごろから始まり、体羽と一部の雨覆を換羽していた。一部の雌についてはこの時点で雄成鳥に似た幼羽から緑色みを帯びた雨覆に換羽するため性の識別が可能であった。
再捕獲個体の換羽状況の調査によって、幼鳥の少なくとも一部は産まれた年の夏から秋にかけて、初列風切の内側数枚を換羽することが初めて明らかになった。換羽は越冬期間中には中断するようであるが、幼羽の風切の換羽がいつ頃完了するのかは不明である。
第一回冬羽の雌個体には、越冬期に入っても雨覆にわずかに緑色の羽毛が存在するだけで、雄に似た外見の個体がいることが判明した。また、成鳥雌も夏羽に比べて不鮮明な羽色に変化していた。過去に冬期に調査されたタマシギの性比のデータは、実際の比率よりも雄に偏っていることが示唆されるので、新しい性・年齢の識別方法をもとに再検討される必要があると考えられる。本研究によって示唆された識別点は、標識調査での捕獲個体や博物館標本の性・年齢の同定に役立つことに加え、野外観察での繁殖確認等にも活用できるだろう。
戻る
西オーストラリアの鳥類調査と鳥類の生息環境
川口仙太郎(島根県)
私はAustralasian Wader Studies Group (AWSG)の北西オーストラリアwader
and tern踏査2013にメンバーとして参加した。踏査は1981年より
ほぼ毎年行われており、調査地はオーストラリアで越冬していたシギチドリたちが北極圏へ旅立つ前に餌を補給するために重要な環境になってい
る。
2013年の調査は2月23日から3月16日の間にローバック湾と80マイルビーチで行われた。最初の5日間は大きくてゆっくり動くサイクロンや80
マイルビーチへの主要道路が冠水で一時閉鎖されたりとアクシデントもあったが、総捕獲数は例年並の14種類3160羽(うち再捕獲
550)だった。調査にはキ
ャノンネットを使用した。
新放鳥数上位3位は、1位オバシギ824羽、2位キアシシギ505羽、3位トウネン391羽といずれも日本でも普通に観察される種なので、日本からの
回収も期待したい。またオバシギなどのフラッグには3つの英文字が刻印されており、デジタルカメラの記録で観察による回収が可能になったこ
とは素晴らしい。
海外Rcは中国8羽、香港1羽で、うち中国の2羽はリング脱落と腐食で読めないものがあり、新しいリングを装着した。国内Rcはビクトリア州か
らのコオバシギで、7年前にAdで放鳥されが、3000キロも離れた東海岸から西海岸側に越冬地を変えることもあるという興味深い内容だった。中
国の黄海の最北部Yalu Jiang にて標識されたオバシギのRcは、今回の調査に中国の大学から参加した方が現地で標識したもので、御本人自らのR
cは感激もひとしおであった。
リターンによる最高齢の記録としては、オバシギの22年前、サルハマシギとオオメダイチドリで20年前の標識という記録を得ることができた。
57羽のオバシギには、新型のジオロケーターを装着した。これは重量0.65gと非常に軽量である。2012年3月にローバック湾で44羽のコオバシギ
に装着したジオロケーターを回収できなかったことは残念だった。これは特定の越冬地への帰還が忠実でないコオバシギの特徴によることも起因
しているようだ。
2013年のチームメンバーは例年よりも少ない25名(通常は30名)で海外からは、私(日本)のほか、台湾、中国、香港、シンガポール、ドイツ
、イギリスそして他オーストラリア全土から参加された。皆で力を合わせて、誰も怪我をすることなく調査を完了できたことは嬉しい限りだ。サ
イクロンは普段当地では見られない外洋性鳥類を観察できる良い機会となり、通過後の風景や雲もそれは美しいものだった。
最後に、私は1981年より遠征調査を継続されているチームリーダーのClive・Minton博士とAWSGの踏査への情熱と強い意志に敬意を表したい。
本要旨をまとめるにあたり、Minton博士からはレポートを送付いただいた、山階鳥類研究所の尾崎清明氏にはご助言をいただいたことに感謝する
。私はこの踏査へのAWSGの毎年の努力と調査地の環境をスライドショーで紹介することで、日本でのシギチドリ調査への関心とRcの増加を期待し
たい。
追記:次回2018年2月12日から3月6日の踏査について、現在(10/12)、参加者枠に少し空きがあるので、日本からも調査に適する参加意思のある
方を紹介してほしいとMinton博士よりメールがあった。参加ご希望の方は、早めの御連絡をいただきたい。
戻る
数種小鳥類における総排泄腔突起の形態と内部構造
千葉晃(新潟市)
【はじめに】総排泄腔突起(cloacal protuberance, CP)は、スズメ目鳥類や一部インコ類の繁殖期の雄で知られる瘤状の膨らみで、性判別の簡便な指標や性成熟の目安の一つとして知られてきた。その外形や大きさは鳥種によって異なり、前者については、球形、卵形、筒形等に大別され、一方、後者(発達程度)については精子競争との関連性が推察されている。しかし、内部構造、生理機能、系統分類との関連性等についてはまだ十分解明されておらず、研究の余地が残されている。そこで、今回は自身の先行研究結果(Chiba & Nakamura 2003, Chiba et al. 2011, Chiba et al. 2014)に新たな知見を加え、PCの外部形態と内部構造を比較・検討してみた。
【材料と方法】供試材料は所轄官庁の許可を得てカスミ網または罠で捕獲した次の4鳥種である:コジュリン(新潟県産・繁殖期の成鳥約60羽)、イワヒバリ(長野県産・繁殖期の成鳥5羽;中村雅彦氏提供)、ルリビタキ(山梨県産・繁殖期の成鳥5羽と亜成鳥4羽;森本 元氏提供)およびウグイス(埼玉県産・繁殖期の成鳥5羽と非繁殖期の成鳥5羽;内田 博氏・今西貞夫氏提供)。コジュリン以外の3種は学術解剖を目的として捕獲許可を受けたもので、成果の一部は公表済みである。コジュリンについては学術解剖を行わず、生態調査用の色足環を装着する際に当該部を肉眼で観察した。組織標本の作製や観察方法は既報のとおりである。
【結 果】コジュリンのCPは繁殖地へ帰還した当初(3月下旬〜4月中旬)は殆ど目立たず、幅は約4oであった。繁殖が本格化する5月中旬までにCPは急速に肥大して球状体(幅約7.8o)となり、皮膚を透して精液を含む輸精管の存在が識別できるようになった。この状態は8月頃まで続き、その後退縮に向かい皮膚も肥厚した。このようにCPの外観や大きさは性成熟の程度を反映しており、繁殖生態の調査に役立てることができた。
イワヒバリのCPは小鳥類の中で最大級と言われており、内臓に占める精巣の大きさも著しかった。本種のCPは卵形ないし洋梨形をしており、背側の膨み(背葉)と腹側の膨み(腹葉)とが区別された。背葉は輸精管後方が伸長・回旋して糸球状になったもので、一方、腹葉は輸精管後続部と射精管が同様に回旋したものであることがわかった。詳細に調べた結果、CPは精子の貯留や精漿の産生だけでなく、余剰精子や機能不全精子の吸収にも関与していることが推察された。この機能は、精液の「生理的フィルター」と換言することも可能である。
ルリビタキのCPは大略球形で、体に対する大きさはイワヒバリのものほど発達しておらず、また、内臓に占める精巣の大きさもイワヒバリのように顕著ではなかった。しかし、CPの内部構造はイワヒバリのものと基本的に同じであった。なお、雄の羽色二型(成鳥と亜成鳥)の間で、CPや精巣の大きさに本質的な違いは無いように思われた。
ウグイスの総排泄腔部は、繁殖期の雄では後方に向かって肥大・突出するが、上記3種のような瘤状の膨らみを形成せず、外部からCPを識別・計測することは困難であった。剖検の結果、CPを形成する輸精管と射精管の回旋部は臀部の背面皮下に在り、この部位の長さは、精巣からCP前端に至る輸精管長の約5倍に達することがわかった。
戻る
サハリン〜日本列島におけるウグイスの翼長・翼式の地理変異
梶田学(京都府)
サハリンから日本列島、南西諸島にかけて広く分布するウグイスCettia diphoneの繁殖個体群のうち、サハリンや北海道など高緯度地域に生息するものは、冬期に南西諸島など他の地域へ移動するため長距離の渡りを行なう事が知られている。一方、本州以南、特に東北地方を除く暖地の個体群は基本的に留鳥であり、長距離の移動は行わないと考えられている。これら、渡りに関する生態が異なると考えられている個体群間において、飛行と強い関連を示す翼形態がどのような違いを示しているのを明らかにするためサハリン、北海道、秋田、長野、京都、青ヶ島(伊豆諸島)、鹿児島、屋久島、中之島(トカラ列島)、沖縄島の各繁殖個体群合計237個体を用いて翼形態の解析を行なった。翼形態を表す形質として自然翼長、翼差(次列風切第1羽先端から最長初列風切羽先端までの長さ)の測定値と翼式についてのデータを採集した。なお、翼式については、初列風切羽を内側からナンバーリングして調査を行った。また、体サイズが極端に異なる小笠原諸島の亜種ハシナガウグイスC.d.diphone は解析から除いた。
自然翼長と翼差の平均値(mm)は、それぞれ、サハリン(65.6, 13.6)、北海道(65.7, 12.6)、秋田(65.2, 12.1)、長野(64.3, -)、京都(63.8, 11.4)、青ヶ島(64.1, 11.9)、鹿児島(63.3, 11.1)、屋久島(64.7, 11.1)、中之島(63.7, 10.2)、沖縄島(63.0, 9.4)であり、高緯度地域の個体群の方が低緯度地域の個体群よりも自然翼長、翼差ともに長い傾向を示した。ただし、測定値のレンジ(範囲)は、それぞれ近接する個体群との間にかなりのオーバーラップがあることも明らかになった。翼式については、高緯度地域の個体群で遠位(外側)の初列風切羽が近位(内側)の初列風切羽より長くなる傾向が認められた。具体的には初列風切第8羽が同第4羽よりも長い個体がサハリンや北海道では、それぞれ100%と95%を占めるのに対し、低緯度地域である中之島や沖縄島では、逆に第8羽が第4羽よりも短い個体が100%を占める。これらの個体群の間に位置する地域の個体群では、いずれも両方の翼式型が認められたが、その割合は地域によって異なっていた。また、最長初列風羽についても、高緯度地域の個体群では遠位(外側)に位置するのに対し、低緯度地域の個体群では、より近位(内側)に位置する事が明らかになった。例えば、サハリンの個体群では最長初列風羽が第7羽のみである個体が77.3%であるのに対し、沖縄島では0%であり、第6羽もしくは第5羽が最長となる個体が多くを占めた。なお、これらの個体群の間に位置する地域の個体群には、いずれも最長初列風羽が第7羽である個体が含まれるが、その割合は高緯度地域で多くなる傾向が認められた。
結論として、長距離の渡りを行なうと考えられている高緯度地域の個体群の方が低緯度地域の個体群よりも飛翔に適した長い翼、特に推進力を生み出す初列風切羽が長い翼を持っていると考えられた。また、高緯度地域の個体群の最長初列風切羽(wing point)は、低緯度地域の個体群に比し、より遠位(外側)に位置することから、翼の長さだけでなく、翼形もより推進力の大きい尖形となっていることが明らかとなった。
戻る
エゾムシクイ Phylloscopus borealoides とアムールムシクイ P. tenellipes の識別
○茂田良光(山階鳥類研究所)・森 茂晃(ホシザキグリーン財団)・市橋直規(日本鳥類標識協会)
Phylloscopus tenellipes は, Swinhoe (1860)により中国南東部のアモイを基産地として記載された。日本では,この鳥の和名を長い間,エゾムシクイとして扱ってきた。Portenko (1950)により南千島のクナシリを基産地とし,P. borealoides が,P. tenellipes borealoides として日本と南千島から Phylloscopus tenellipes の亜種として記載された。この亜種は,P. tenellipes に含められ,亜種としても認められないこともあった (Vaurie, 1954, 1959; Ornithological Society of Japan, 1958, 1974)。その後,サハリン,南千島,日本で繁殖するエゾムシクイ P. tenellipes borealoides としてP. tenellipes の亜種として扱われてきたが (Watson et al., 1986; Martens,1988),両者の鳴き声と形態の違いから, エゾムシクイは独立種 Phylloscopus borealoides として大陸産のP. tenellipes とは別種として扱われるようになった (The Committee for Check-List of Japanese Birds, 2000; del Hoyo, J. & Collar, 2016)。演者らは中国,香港,サハリン,韓国,日本における両種の標識調査と野外観察,音声録音から両種の識別方法についての有用な知見を得ることかできたので, ここで述べることにする。両種は山陰地方でも標識放鳥されている。
エゾムシクイとアムールムシクイは類似しており,両種とも羽色の個体差が大きいため上記のように分類が混乱してきたが,鳴き声を聴くことができれば,両種は地鳴きも囀りも異なるので,識別は難しくはない。エゾムシクイの地鳴きは,高く金属的な「ピッ,ヒッ」,囀りは「ヒーツーキー」を繰り返すが, アムールムシクイの地鳴きは「チッ,チッ」または「ピ, ピ,・・・」 と聞こえ,囀りは「シッシッシッシ・・・」という金属的な細い声である。エゾムシクイはアムールムシクイよりやや大きく,上面の羽色はよりオリーブ色味が強く,頭上がより暗色である。アムールムシクイの初列風切の突出は, 翼を閉じたときに次列風切と三列風切から5枚か6枚しか突出して見えないのに対しエゾムシクイでは7枚か8枚が見える。この特徴の確認には, 写真撮影が有効である。
日本におけるアムールムシクイの記録は, 岡部海都氏による1996年5月1日,福岡県宗像郡大島村(現 宗像市)大島(北緯33度55分,東経130度26分)において標識放鳥(足環番号1A-68804)された成鳥が確実な初記録である。これはエゾムシクイとして放鳥されたが, 再検討の結果,アムールムシクイであることが判明したものである。また,岡部は2007年5月10日に同県福津市渡東郷公 園(北緯33度47分,東経130度27分)において撮影と音声の録音により雄1個体を確認している。アムールムシクイは,エゾムシクイに類似し識別が難しいが,上記の識別点が確認できれば,確実に識別することが可能である。とくに手に取って見ることができれば,鳴き声を聞くことができなくても識別できる。エゾムシクイによく似ているが,サイズが小さいことは測定しなくてもわかるほど最も重要な識別点である。和名はウスリームシクイやアムールムシクイという分布地域の一部から付けられた和名より,コエゾムシクイと呼ぶ方が相応しいと言えるであろう。演者らは,この機会にPhylloscopus tenellipesの和名としてコエゾムシクイと呼ぶことを提唱したい。最後に貴重な写真を快く貸していただいた岡部氏に深謝の意を表する次第である。
戻る
中国地方島根県石見での標識調査
日比野政彦(広島県廿日市市)
標識調査を1981年から36年間(途中申請忘れで6か月休止)広島県・島根県を中心に継続して実施してきた。主な標識場所は広島県では広島県西部の中国山地と住居地のある広島県廿日市市並びにその隣の広島市等である。島根県では島根県西部に位置する江津市、益田市である。標識場所の環境は夏季の繁殖期を中心とした時期は山地を、また秋季・冬季はアシ原が主体である。
今回、島根県西部石見、特に益田市益田川の標識調査の状況を発表する。
内容:オオヨシキリの標識
コヨシキリ、シマセンニュウについて
戻る
長期にわたる春の標識調査から 〜島根県松江市美保関灯台〜
市橋直規(鳥取県米子市)
美保関灯台は、島根・鳥取県境をまたぐように本土に沿って突き出した島根半島の東端に位置し、古くから日本海における海上交通の要所として大きな役割を担っている。
美保関における小鳥類の春の渡りは、1980年代後半に島根大学の学生によって確認され、1989年から標識調査を開始したが、当初は、灯台付近から東の方向へ渡って行く小鳥類の姿は確認されるものの林間をどう移動しているのかわからず網場選定に苦しんだ。試行錯誤の結果、1993年から網場も固定し、バンダー3人態勢で本格的な調査に入った。
1989年から2016年までの27年間(1990年は調査せず)に88種23772羽(Rpは除く)を放鳥した。一番多く放鳥したのがメジロで6068羽、次いでウグイス4637羽、ヒヨドリ1971羽、シロハラ1585羽、キビタキ973羽などであったほか、シロハラホオジロ48羽、カラアカハラ41羽、ヤツガシラ7羽を放鳥した。
調査は、網の枚数、その後の環境変化による網場の移動などから単純な比較が出来ないため網場、網枚数とも固定した2006年から2016年の11年間について3月25日から5月9日までの原則として悪天候日を除く毎日調査したデータについて解析した。
その結果、4月5日から30日には1日あたり50羽前後以上の放鳥数があり、20日から25日ごろに100羽を超す美保関最大の渡りがあることが判った。
これを種別で見てみると、メジロは、ヤブツバキやサクラの花が咲く中旬にかけて多く、ウグイスは10日頃から♂が多くなり、22日前後に♀のピークがあった。
ウグイスの性差による渡りの違いが知られているように美保関でも同様の傾向が認められたが、クロジやキクイタダキ、キビタキなどでも性による渡りの差があることが判った。
回収記録については、美保関放鳥→他所回収が17例。他所放鳥→美保関回収9例の計26例であった。
美保関放鳥のウグイスが、17日後に北海道の室蘭で回収されたほか、札幌と紋別で再捕獲された。また、春に美保関を通過するヒヨドリが、翌年と翌々年の冬に九州の佐世保や大牟田で有害鳥獣駆除ため死体回収されことから美保関を通過するヒヨドリは九州北部で越冬していることが判明した。
このほか、秋に四国の徳島県で放鳥されたオオルリ幼鳥を、翌春、美保関で回収、また、秋に広島県呉市で放鳥されたクロツグミを翌春に美保関で回収したことから、秋の渡りは太平洋側、春の渡りは日本海側という説を証明したと言える。
最後ながらデータ解析等に多大なご尽力いただいた米田重玄氏、当地おける調査を開始された土居克夫氏、長期にわたって調査に携わっていただいた多くのバンダー、及び、協力者の諸氏に深謝の意を表する次第である。
戻る
日本の鳥類調査員の高齢化と人手不足、および、鳥類標識調査員の現状把握
〜将来の調査員育成体制の改革へ向けてのバンダーとの情報共有〜
森本元(山階鳥類研究所)
近年、日本の人口における高齢化と若者の減少、さらに、それに伴う労働不足は大きな課題となっている。そしてこれは、鳥類標識調査においても例外では無い。日本の鳥類標識調査では、山階鳥類研究所が、その調査員(バンダー)を、各地方において各調査員の多大な協力を得て、新人バンダーの育成を続けてきた。実際、この数十年に渡ってバンダーの人数は大きく増加した後、現在は比較的安定した人数で推移している。これら各バンダーの標識調査への貢献度は極めて大きく、バンダーの増加に伴い放鳥数は比例して増加した。今では、年間放鳥数の大半をボランティアバンダーによる放鳥が占めている。他方、バンダーの中心的な世代はかつて比較的若い年齢であったバンダーが、この数十年でそのまま年齢を重ね、バンダーの中心年代が高齢化している傾向がある。今後、バンダーの高齢化や引退に伴い、急速にバンダーの減少と放鳥数の減少が起こることが予想される。
別な問題として、現在の山階鳥類研究所による直接のバンダー育成体制では、この問題に対処できない可能性がある。現在のバンダー育成は、各調査地において、有資格バンダーが、バンダー資格の取得希望者を見習いとして指導し、長期に渡る捕獲技術や鳥類識別技術の指導と習得、野生鳥類を扱う為の倫理的な教育等を経て、候補者が十分に有資格にふさわしいと認められた際に、その師匠筋にあたるバンダーによる山階鳥類研究所への推薦が行なわれる。推薦された候補者は、山階鳥類研究所による直接の複数回の講習会(実技、座学)の受講と、認定試験での合格をもって、晴れて新人バンダーとなる。この現在の育成方法は優秀なバンダーを多数育成できた実績がある一方で、将来の調査員の減少をカバーしきれないかもしれない。
日本の標識調査の将来のために、こうした問題の解決のための対策案の発案と、今後のバンダー育成体制の改革を目指して、多くのバンダーおよび日本鳥類標識協会会員とバンダーの現状に関する情報共有を行いたい。
戻る