2012年日本鳥類標識協会大会一般講演 講演概要(要旨) 図表写真は略

非繁殖期におけるカンムリウミスズメの年齢識別
   小田谷嘉弥(筑波大・生物科学)

 カンムリウミスズメSynthliboramphus wumizusumeは日本周辺にのみ繁殖分布する小型海鳥であり、IUCNのレッドリストでは絶滅危惧U類(VU)に指定されている。生殖羽では特徴的な冠羽、黒い頬などによりウミスズメS. antiquusとの識別が可能であるが、非生殖羽は酷似しているとされてきた。また、非繁殖期における成鳥と幼鳥、および第一回冬羽、第一回夏羽の識別に関しては、これまで詳しく記載された例は少ないが、本種のような保全対象となる種では、年齢を正確に識別することは重要である。発表者は相模湾における本種の生態調査から、非繁殖期における羽衣について情報を得たので報告する。
 2008年から2012年の1月〜8月に神奈川県相模湾東部の海上において、漁船をチャーターして調査を行った。双眼鏡および目視でカンムリウミスズメを発見し、給餌の有無や羽衣の状態から年齢識別を試みた。幼鳥は、嘴が黒灰色で、頬に白いパッチ状の白色部を持つことが確認され、その白パッチは翌年の繁殖期まで残ることが示唆された。成鳥は幼鳥に比べて頭部のコントラストが弱く、6~7月には冠羽が残ることが確認された。また、成鳥の初列風切の換羽時期は、相模湾においては7月上旬頃であることが示唆された。
 口頭発表では、カンムリウミスズメの非繁殖羽とウミスズメとの識別、およびカンムリウミスズメの非繁殖期初期(6月~7月)における年齢識別について議論する。また、非繁殖期後期(8月〜10月)の年齢識別の可能性と課題についても議論する。
 本研究の一部は、プロ・ナトゥーラファンドの助成を受けて行った。


渇水環境におけるキビタキのなわばり分布
   *岡久雄二(立教大・院・理)・小西広視・高木憲太郎(バードリサーチ)・森本 元(立教大・理/東邦大・理・東京湾生態セ)

 一般に,生物にとって水は欠かすことのできない資源であるとされる.しかし,体重が50g以下の小鳥類は水がない環境でも生存できることが知られているように,鳥類にとっての水という資源の重要性は他の生物群とは異なると考えられる.そのため,小鳥類の生態に対する水の影響は歴史的に軽視されており,研究例はそのほとんどが海や湖沼に限定されている.このような背景にありながら,鳥類標識調査においては同種内の複数の個体が同じ水場で捕獲されることが広く知られる.繁殖期に限れば,多くの鳥類は排他的な縄張りを形成しその中で生活しているにもかかわらず,縄張りを離れてまで水を利用しているのである.このような事実は繁殖期の鳥類にとって水が必要な資源であり,それに基づいて個体の分布が制限されている可能性を示唆する.そこで我々は,地表面を流れる河川が無く,渇水環境にある富士山原始林において,地表面に滞留した水が鳥類の縄張りの分布を制限しているかを検討するために調査を行った.調査はキビタキFicedula narcissinaを対象として2012年の4月から8月にかけて行った.個体を水場で捕獲し,個体ごとに異なるパターンのカラーリングを装着したのち,さえずりのプレイバックを用いたセンサスによってキビタキ374個体の縄張りの位置を特定した.次にフリーソフトウェアQuantumGISを用いて,縄張りの位置と水場の距離を計算し,これを調査地にランダムにキビタキが分布した場合の距離と比較した.その結果,キビタキの縄張りは水場から1100m以内に集中していることが明らかとなった.調査地内にランダムにキビタキが分布した場合と比較して,実際のキビタキの分布は水場までの距離が有意に短かった.また,水場において捕獲し,標識を装着した個体の移動をもとに,キビタキは最長で1067m離れた縄張りから水場に飛来していることが認められた.これらより,繁殖期のキビタキにとって水は欠かせない資源であり,キビタキの縄張りの分布は水場の位置に影響されていると考えられた.鳥類にとっての水の重要性は種ごとの採餌物や行動スケールに大きく影響されると考えられる.そのため,本研究で扱ったキビタキ以外の鳥種についても同様の研究を進めていくことで,鳥類にとっての水の重要性を詳細に検討していく必要があるだろう.


コアジサシは生まれ故郷に戻ってくる?
          佐藤 達夫(千葉県)

 コアジサシ(Sterna albifrons)は日本では本州から沖縄まで飛来し繁殖する夏鳥である。
演者は主に千葉県内の東京湾岸奥部の浦安市、市川市や外房九十九里を中心にコアジサシの保護活動や繁殖状況、ヒナを中心に標識調査を行ってきた。
 東京湾岸での調査地の大部分は埋め立て地の造成地であったり、遊休地や臨時駐車場であった。コアジサシの飛来時期に、繁殖可能な遊休地や造成地を探し、繁殖を確認すると土地の管理者や所有者、行政などに連絡をし、コアジサシの保護に理解と協力をお願いしている。しかしここ数年は造成地の様子も様変わりし宅地などに利用され繁殖が難しい状況になっている。
 標識調査はヒナへの標識を中心に行っている。親鳥を観察していると標識個体の営巣が確認されることがあった。標識された個体がどこからやってきたのか?以前に自分で放鳥した個体なのか?を調べるため、2004年から標識個体の再捕獲を行っている。捕獲には、ボウネット、箱型の罠を使用し、抱卵中の個体を捕獲した。結果として、東京湾岸(浦安・市川)のコロニーでは、2004年から2012年まで、6か所、21羽を再捕獲したが、そのほとんどの個体20羽が東京湾岸でのコロニー出身あるいは繁殖中に捕獲された個体であった。東京湾岸放鳥以外では、三重放鳥が1羽のみであった。放鳥時の性・齢はほとんどが、ヒナで標識された個体であったが、2羽が雌(?)・成鳥で放鳥された個体であった。
また、同じく千葉県外房の九十九里浜においても2009年から2012年まで、3か所、14羽を再捕獲した。九十九里コロニーでは、九十九里放鳥9羽がもっとも多く、東京湾岸放鳥4羽、三重放鳥1羽であった。放鳥時の齢はすべての個体がヒナでの放鳥であった。
 以上のことから、コアジサシは生まれ故郷、あるいは以前に繁殖した場所(地域)に戻ってくる傾向があるようだ。
今後もコアジサシの調査を続け情報を蓄積し、保護活動にもつなげていきたい。




2011年JBBA日韓共同調査報告
         *茂田良光・片岡宣彦

 2011年度の日韓共同調査は,2009年と2010年に引き続き釜山郊外の洛東江河口のウルスクドで実施された。2011年度の調査は3年間で最も遅い時期である。同地域での3回目の調査であり,網場の設定から調査全般に至るまでスムーズに行うことができた。以下に調査の概況を報告する。韓国側の参加者には調査の手配,準備から捕獲用具,食事,宿泊など,お世話になった。厚くお礼を述べる。

期間:2011年11月8日?11月13日(調査は9日?12日)
調査地:韓国釜山広域市沙下区 洛東江河口 乙淑島(ウルスクド)
日本側参加者:
浅井さやか(千葉県)・馬田勝義(長崎県)・小畑義之(兵庫県)・片岡宣彦(兵庫県)・茅島春彦(東京都)・茂田良光(千葉県)・山口恭弘(茨城県)・山田浩司(兵庫県)・渡辺靖夫(滋賀県)

韓国側参加者:
国立生物資源研究所動物資源課(Animal Research Division, National Institute of Biological Resources Environmental Research Complex) : Kim, Jin-Han・Hur, Wee-Haeng・Kim, Sung-Hyun・Kang, Seung-Gu・Choi,Yu-Seong・Son, Jong-Seong・ Song, Young-Hwa
国立公園渡り鳥研究センター(Migratory Birds Center, National Park Research Institute):小倉豪

調査概況
◇ 調査1日目 (11月9日)  曇り
 8時40分調査地着。韓国側で用意してくれた網,ポール,紐などをチェックし,9時頃から網張りを開始。網は昨年張ったあたりから張り始め,捕れそうなところを選んで最終的に5箇所(網場A?E)に設置した。鳥の動きはあまりなく,日没まで行って網を閉じた。捕獲数は8種21羽。
・ 網場A 32 mmメッシュ×12 m×4枚
    環境:干満の影響を受けるヨシ原。
・ 網場B 32 mmメッシュ×12 m×3枚
    環境:道路沿いの乾燥したヨシ原でヤナギやススキなどが混在。
・ 網場C 32 mmメッシュ×12 m×4枚
  環境:道路沿いのヤナギの疎林。ヨシ原が混在。
・ 網場D 32 mmメッシュ×12 m×5枚
    道路沿いのヤナギ林。ミヤマホオジロ狙い。
・ 網場E 32 mmメッシュ×12 m×3枚,32 mmメッシュ×7 m×1枚
      干満の影響をあまり受けないヨシ原。
・ ボウネット 2箇所
    カササギを狙って道路沿いのヤナギ林に設置。餌はパン,ラーメンなど。
◇ 調査2日目(11月10日)  曇り
 6時20分調査地着。 暗い中で網を開く。昨日に引き続きどんよりとした曇り空で鳥の動きは相変わらず鈍く,鳥の捕獲は少なかった。一回目の網のチェック時に追い込まれてハイタカが網にかかり,つかんでいたセジロタヒバリを残して飛び去った。ボウネットの餌にカササギはよく反応し周辺には来たが,捕獲はできなかった。日没後に網を閉じた。
◇ 調査3日目(11月11日)  曇り一時雨,午後は晴れ
 朝8時の見回りでミヤマホオジロが10羽捕れ,このときD網場周辺にミヤマホオジロの群れがいた。次の見回りで18羽を捕獲したが,それ以後はあまり捕れず。午後は晴れ,鳥の動きが出てきたのでD網場に32 mmメッシュ×12m×1枚と32 mmメッシュ×7 m×2枚を追加し,さらにミヤマホオジロが採食のため地上付近で群れていた場所にF網場として32 mmメッシュ×12 m×1枚を追加した。最終見回りでハイタカが捕れた。
◇ 調査4日目(11月12日)  曇りのち晴れ
 ミヤマホオジロの大きな群れが入り,道路沿いのヤナギ林内と網場C,D付近に多く,うまく追い込むことによりまとまって捕ることができた。11時前には撤収を開始し,13時には作業を終了した。
 この後,洛東江河口を見渡せる高台にある観察センターに寄り,ラムサール条約登録湿地の注南貯水池でマガンやヒシクイが稲刈り後の水田で採食するところ,池にいる水鳥を観察した。

まとめ
 上記の調査により,同調査地で少しずつ時期をずらし3回の調査が終了した。表1に2009年から今回までの3年分の放鳥一覧を示す(学名はThe Ornithological Society of Korea, 2009 による)。2009年は18種329羽,2010年は25種144羽,2011年は13種261羽が新放鳥された。再捕獲は,2010年10月27日に性不明の成鳥として放鳥され,2011年11月11日に捕獲されたダルマエナガ1羽を除き,すべて同調査期間内のリピートである。
 2011年は調査後半でミヤマホオジロが多く161羽が捕獲されたため,個体数では2010年を上回る合計261羽の放鳥数が得られた。調査期間中に前線が通過し,ミヤマホオジロが渡ってきたものと思われた。シベリアジュリンも2009年の6羽,2010年の11羽と比べ2011年は33羽が捕獲された。種数では2010年の25種が最も多く,2011年は13種と3年間で最も少なかった。
 年が違うのではっきりしたことは言えないが,釜山では11月初めから半ばにかけてミヤマホオジロとシベリアジュリンの渡りのピークがあるのではないかと推察される。2009年から2011年の3年間ではミヤマホオジロは,合計413羽を放鳥したので日本での回収に期待したい。

図1. 調査地:プサン市郊外を流れる洛東江の河口 拡大図の○で囲った周辺
表1(別添付のエクセル)



神奈川県馬入橋でのハクセキレイの標識調査(2003―2010年)
           菊池 博(ハクセキ幼老院)

 神奈川県平塚市の相模川に架かる馬入橋は、ハクセキレイMotacilla alba lugensの集団塒として、1970年代から知られている。集団塒が形成されるのは主に10月から4月までの秋冬期であるが、2003年1月から2010年4月までの期間で集団塒の形成される時期に継続的に標識調査を行った。
調査は日の出時刻の約1時間前に実施し、期間内に合計51回行った。塒のある橋桁にLTX1枚もしくはATX2枚を欄干から下ろして固定し、鳥が塒から飛び出したところを捕獲した。塒は橋の下流側や河川敷に面した部分には形成されず、上流側の川の中央部分に集中するが、水面に接した橋桁のほぼ全域に分散して形成された。そのため、カスミ網を下ろして鳥を回収するという作業を複数回繰り返した。
 放鳥種はハクセキレイ以外にセグロセキレイM. grandis 1羽の放鳥があった。ハクセキレイの総放鳥数は3845羽(新放鳥数2435羽、再放鳥数1410羽)であった。
再放鳥については、Rt799羽、Rp611羽でRcはなかった。当地放鳥個体の当地以外での回収記録は、岩手県大船渡市(移動距離457q、放鳥14日後)や北海道寿都町(移動距離831q、放鳥483日後)、平塚市内等合計7例があったが、いずれも死体もしくは保護個体の回収であった。
 標識調査は毎年秋季の10、11月に始め、翌年春の4、5月まで継続的に行ったが、秋季から春季へと月が進むにつれてハクセキレイの性比が変化するようなことは認められなかった(χ二乗検定)。しかし調査した月と年令の関係では、成鳥と幼鳥の比率が月毎に違うことが認められ(χ二乗検定 p<0.01)、かつ越冬の月が進み春になるにつれて成鳥の割合が減少することが分かった(kendallの順位相関係数τ=−0.71 p<0.05)。
なお、馬入橋の集団塒は2010年4月の調査を最後に消滅してしまったが、その原因は不明である。

引用文献
浜口哲一・犬山聡彦・熊谷潤・八城敬友,1982.相模川馬入橋に見られるハクセキレイの集団塒について.神奈川県自然誌資料,3:81-88,神奈川県立博物館 



新潟県瓢湖におけるオナガガモ Anas acuta (雌) の越冬地換羽について
     本間隆平・千葉晃・白井康夫 (瓢湖標識調査グループ)

 Verhereyen(1958)は初列風切の換羽様式を7型に分け、カモ類はその第5型(同時に換羽する型)に該当し、一時無飛力になることを紹介している(黒田1962)。瓢湖に渡来するオナガガモはこの型に含まれ、一般には初列風切の換羽を終了してから渡来すると考えられる。
瓢湖で1998年で標識調査をはじめてから5年目に当たる2003年、初列風切羽が換羽中のオナガガモを初認・捕獲し、それ以来ほぼ毎年のように標識を着けて放鳥している(下表)。今回はその詳細について報告する。

表 換羽個体の年別捕獲状況

 捕獲方法は2003〜2007年の場合は水禽公園の広場に上がってくる個体を手捕り又はたも網で捕獲した。2009年以降は網場を変更したため、全てを引き網で捕獲した。
捕獲期間は渡来早々の10月初旬から11月中旬までで、それ以降は初列風切が伸びて区別できなくなった。
捕獲数の年別変化をみると、はじめて現れた2003年は特に多く、捕獲したもののほか
数羽が観察されている。また、2009年は網場を東新池に移し引き網で捕獲するようになったため14羽しか捕獲できなかったが、40羽以上が観察された。
 換羽個体の体重は正常個体より少ない傾向がみられたが、飛翔力を失っているため夜間採餌に出掛けられないための影響と考えられる。
 また、換羽中の個体の行動を観察すると、開けた水面よりは水草の多い場所に小群で纏まって潜む等、正常個体とは別行動を取る傾向がみられた。
 越冬地に渡来してから換羽する個体群が同じ繁殖地から渡来するのか、それとも単なる個体による違い(偶発性)なのか、Return記録を検討してみた。その結果、換羽中に捕獲された翌年に再び換羽個体として捕獲されたものが2羽、2年後及び3年後に換羽個体として捕獲されたものがそれぞれ1羽おり、合わせて4羽が換羽の状態で再捕獲されている。少数例ではあるがこのような傾向から見て、同じ繁殖地域から瓢湖へ渡来する個体群の中にこのような換羽の遅れを示す個体が生ずるものと考えている。


傷病鳥として保護した種のリング装着後の自然復帰について
        風間辰夫(日本鳥類標識協会)

 1971年10月から2001年3月までの31年間に、「新潟県愛鳥センター」(1990年3月までは「新潟県傷病鳥救護舎」)へ保護収容された野生鳥獣は249種(鳥類231種、獣類18種)25,000頭羽余(鳥類24,000羽、獣類1,000頭)であった。
 このうち、鳥類について自然復帰可能となった個体の、中型以上の種に対し環境省の標識ナンバーを装着し放鳥した。
 標識放鳥したうち、特筆できる放鳥後の回収及び観察事例の7種について述べる。
@オオハクチョウ
 1997年11月28日、旧岩船郡神林村で保護(重傷)、幼鳥。
 1998年1月23日、北蒲原郡聖籠町の弁天潟からリングナンバー150-01103を装着し放鳥。
 2008年5月31日、サハリンで銃により捕獲された。
 移動距離は1,308km。放鳥から10年4ヶ月。
Aコハクチョウ
 1998年11月18日、新潟市長潟で保護(重傷)、成鳥。
 1999年2月24日、@と同じ場所からリングナンバー150-11108を装着し放鳥。
 1999年4月14日、北海道のクッチャロ湖で、リングを読みとり報告を受けた。
 移動距離は約600km。放鳥から49日。
Bオジロワシ
 1987年12月5日、十日町市内でトラバサミにかかり、3日位たって衰弱した状態で保護(重傷)。成鳥。
 1988年2月3日、新潟市の佐潟からリングナンバー140-01643を装着し放鳥したところ約2時間後に保護された十日町市の観察者から連絡があり、例年渡来する越冬地へ戻ったことが判明した。
 移動距離は約80km。
Cオオワシ
 1992年2月23日、旧北蒲原郡紫雲寺町海岸松林のゴミ捨て場に捨てられていたのを保護した(瀕死の状態)。当年生まれの幼鳥。
 1993年1月28日、猛吹雪の天候時に福島潟からリングナンバー140-01649を装着し放鳥した。
 1993年4月21日、青森県鯵ヶ沢町の海岸でバンダーの青山一郎さんによって番号が読みとられ報告を受けた。
 移動距離約300km。放鳥から83日。
Dオオタカ
 1998年6月21日、旧北蒲原郡中条町で保護(重傷)成鳥。
 1998年9月15日、新潟県愛鳥センターからリングナンバー11A-05745を装着し放鳥した。
 2007年4月3日、北蒲原郡聖籠町網代浜で左眼失明。著しい衰弱状態で保護され、愛鳥センターへ収容されたが6日後に死亡。
 移動距離7km。放鳥から8年6ヶ月。
Eヤマシギ
 1988年9月25日、旧北蒲原郡加治川で重傷で保護(年齢不詳)。
 1988年11月8日、愛鳥センターからリングナンバー080-14086を装着し放鳥した。
 2002年12月22日、加治川村内で銃猟により捕獲された。
 移動距離7km。放鳥から4年1ヶ月。
Fコミミズク
 1997年10月1日、旧豊栄市で保護された(中程度の傷病)成鳥。
 1997年10月18日、愛鳥センターからリングナンバー11A-05727を装着し放鳥した。
 1998年1月25日、群馬県邑楽郡板倉町で、ノスリに食害されて死亡している状態で発見された。
 移動距離約300km。放鳥から99日。



イカルチドリの換羽時期と繁殖期、非繁殖期の雌雄の羽色
       内田 博  比企野生生物研究所

 イカルチドリ雌雄の性差や年齢に関わる情報は少なく、BTOガイド17(Prater et al 1977)では性差は明らかな特徴差はなく、年齢の判定もできないとの記述である。日本国内の図鑑でも雌雄の判定は書かれてなく、年齢に関する記述もない。しかし、イカルチドリの生態観察では、繁殖期の雌雄の羽色の特徴には性差が見受けられる。しかし、遠くからの観察ではいくつかの点に関して判らないことが多く、捕獲して測定を行った個体および、個体識別をした個体の継続観察から、本種の性差や年齢、換羽に関わる情報を報告する。調査は埼玉県の荒川の支流、都幾川で1988年から1993年の6年間に行った。また2011年、2012年にも個体識別をした個体の写真撮影を行い、どのように羽色が変化したかを記録した。捕獲は1988年3月から生息する個体を、毎年、繁殖期に抱卵巣で、かご罠、脚くくり罠を使用して捕獲した。雛は孵化直後に捕獲した。それらの個体には各鳥に違う色足環を組み合わせ、環境省の金属製Noリングに赤や緑などの蛍光色テープ(全5色)を巻き、成鳥では脛と?蹠に2個ずつ、合計8個の色足環と1個の金属リング、雛には両脛に1個ずつの色足環と金属製Noリング1個の計3個を装着し個体識別を行った。また他の時期には夜間にかすみ網を使用して捕獲を試みたが、数羽の捕獲に留まった。1990年11月から1991年2月にかけての期間に、自動式脚くくり罠を使用して5羽を捕獲し、上記同様に個体識別用の足環をつけた。しかし、繁殖期以外の時期での捕獲は難しく、労力に対して得られる結果は少なかった。
 繁殖期の雌雄は主に頭部の羽色に差があった。雄は顔の眼のまわりが黒く、眼のまわりの露出した皮膚のアイリングと呼ばれる黄色の皮膚の色が濃かった。雌では顔の眼のまわりの羽は黒味が淡くあるいは無い個体で、眼の周りのアイリングの色も薄かった。雄の測定値は体重63.6±3.3g(範囲57.5−71.5 N=32)であり、雌は体重68.1±4.2g(範囲59.0−81.0 N=40)で、雌雄は体重平均値で5gの差があり(マン・ホイットニの順位 P=0.000015)、他の部位の測定値は雌雄差がなかった。年齢はBTOガイド17では明らかな特徴差はないとの記述であるが、その中のチドリ類の判定と同様に、初列先端部の外弁と内弁の尖り具合で1歳以下の個体と、それ以上の成鳥に分けられた。このことは調査地で出生し、翌年の繁殖期に捕獲した雄1、雌4個体でも確かめた。
 イカルチドリの換羽時期は繁殖期以外での捕獲が難しいため、観察と生態写真を援用して確かめた。換羽は全身換羽が6月中旬から始まり8月に終了し、非繁殖羽に替わった。10月からは頭部などの部分換羽を行い、ほとんどが12月までに終了し、繁殖羽になる年2回の換羽があった。繁殖羽での雌雄判別は比較的容易であるが、非繁殖期での雌雄の判別は困難であった。


標識調査における亜種同定と学術論文化の重要性
       ○森本 元(立教大・理/東邦大・東京湾生態セ)・高橋雅雄(立教大・院理)

 日本国内で鳥類が観察される際,種名を記録することは一般的だが,亜種レベルまでの同定は一部の種を除いてあまり行われていないことが多い.しかしながら,亜種を同定し,その結果を発表することは,鳥類学,特に鳥類の分類学,系統学および生物地理学,それらの影響を受ける生態学等の発展において欠かせない要素である.本稿では,それらの重要性,特に学術論文として公表することの必要性について,日本産鳥類かどうかの判断基準の一つである日本鳥類目録との関係を軸に議論したい.
 DNA研究の急速な発展により,形態形質に大きく依存していた鳥類の系統学や分類学が,大幅に見直されてきている.近年において,分子系統学的視点に基づく分類の検討は欠かせないものとなっており,そのような手法を用いた研究は,世界の様々な鳥類目録に影響を与えた.日本産鳥類の公式なリストである日本鳥学会の発行する日本鳥類目録も,こうした流れを受けて,第6版(日本鳥学会 2000)から分類体系を大きく変更した第7版が2012年に発行される.このことは,現在,鳥類の分類体系が急速に書き換わりつつあることを示している.
 多くの種の分類について再検討が進んだ結果,隠蔽種(外見上の識別は困難だが別の分類基準(例えばDNAの差異等によって別種とされる種)の存在が脚光を浴びてきた.例えば,メボソムシクイPhylloscopus borealis の亜種を別々の3種(P. boreais,P. examinandus,P. xanthodryas) に分ける分類を提唱した斎藤らの一連の研究は記憶に新しい.これらのケースのように亜種が種に昇格するというケースは,今後も様々な鳥においても研究が進めば起こりうる.
 ただしその際に,いくつかの問題が生じうる.その一つが,標準和名と学名の対応についてである.また,野外において記録をとる際,時代によって種名が示す種の範囲が異なることにもなる.本発表では,こうした種や亜種を取り巻く問題点を標識調査と関連付けて紹介する.また日頃から亜種レベルまで記録することの有用性と学術論文として発表することの重要性について述べる.また,亜種レベルまで識別するための手法として標識調査が有用である点について紹介する.


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